縁起

-専法寺について-

今より約五百年前、永正七年(1510年)に真言宗の寺院として建立される。

天正三年(1575年)、開起 梵 誓徳法師の時、真言宗より浄土真宗に改宗し、時の三次式部少輔藤原隆亮公が比熊山築城の際、三次町中所椿原より現在地の三次町に移転する。以降、城下町三次の発展と歩みを共にする。

昭和四十五年(1970年)七月二十三日、午後十一時五十分頃に発生した不慮の災禍により、本堂及び庫裡を瞬く間に焼失する。

第十六世 寳英法師は過去帳と阿弥陀如来本尊を、法務員 瀬戸誓鎧 氏はご本尊、各御絵像を猛火の中から守護脱出し、また、必死の消火作業により隣接家屋への延焼を防ぎ得た事、家族、下宿人が無事であった事は不幸中の幸いであった。

「しかし、約四百五十年の長き伝統を持つ由緒ある伽藍の一切を焼失する大火を起こした事は、仏祖をはじめ、多くの門信徒の方々に対し、お詫びの言葉もなく、住職として深く責任を痛感する。」(※第十六世 寳英法師記述)

直ちに再建復興のために門徒総代長を中心に計画を練り、門信徒一致団結し、懇念を運び浄財を寄進して、昭和四十七年(1972年)四月二十二日、仏閣再び輝き現在の本堂及び門徒会館の落成を見る。

改めて、再建復興にご尽力いただいた多くの門信徒、関係者各位に感謝の念を抱くばかりである。

昭和四十七年(1972年)七月十日からの集中豪雨により、多くの三次町住民(約七十名)が続々本堂へ避難する。水防活動むなしく西城川より境内へ激しい水が押し寄せ、本堂会館も床上浸水となり、畳、備品、衣類など全てが未曾有の水渦に飲み込まれる。落成を見たばかりの本堂及び門徒会館の惨状に一同茫然となるも、門信徒一致し復旧作業にあたる。

昭和五十五年(1980年)五月、庫裡を再築。

これにより専法寺再建復興を完了し、更に年毎に欄間等仏具の寄進をいただき荘厳整う。

平成元年(1989年)四月、第十七世住職継職法要を記念し、内陣の金箔張り、屋根の修復等内外の補修工事を行なう。

平成十八年(2006年)本堂、門徒会館、経蔵の補修工事を行う。

<これからの専法寺>

2018年 専法寺仏教婦人会結成95周年

2020年 専法寺開山510年・改宗445年

2022年 専法寺本堂再建50年

2023年 専法寺仏教婦人会結成100周年


専法寺日曜学校(昭和20年代)


-世代誌-

開 基   誓徳法師  寛永七年七月十七日 寂

第二世   浄俊法師  寛永七年十月七日 寂

第三世   水雪法師  元禄元年二月十八日 寂

第四世   林雪法師  元禄十一年四月九日 寂

第五世   瑞雪法師  享保九年三月二日 寂

第六世   観嶺法師  宝暦七年八月二十九日 寂【経蔵建立(宝暦二年四月)】

第七世   智辨法師  安永二年五月十六日 寂

第八世   智冷法師  寛政七年九月二十四日 寂

第九世   徳遵法師  天保七年八月十五日 寂【鐘楼門建立(文化十三年)】

第十世   日照法師  明治二年六月十四日 寂

第十一世  賢遵法師  慶應二年二月二十七日 寂

第十二世  大俊法師  明治二十九年一月九日 寂

第十三世  日進法師  明治三十二年二月三日 寂【鐘楼堂落成(明治二十五年四月)】

第十四世  法顕法師  昭和二十八年十二月二十五日 寂【梵鐘再鋳】

第十五世  顕英法師  昭和十七年五月二十四日 寂

第十六世  寳英法師  平成十八年四月二十四日 寂【本堂会館再建(昭和四十七年)】

第十七世  梵照英

追記 第九世徳遵法師は芸州真宗教学の祖である慧雲(えうん)法師門下の逸材、大瀛(だいえい)法師と兄弟々子で、学徳兼備の誉れ高く、寺門興隆に尽くした学僧である


-名 称- 浄土真宗本願寺派 梵行山 専法寺

-住 職- 梵 照英  副住職 梵大英

-所在地- 〒728-0021 広島県三次市三次町1191

-連絡先- TEL.FAX 0824-62-3596

E-MAIL info@senpouji.jp


浄土真宗の教章(私の歩む道)

宗名 浄土真宗( じょうどしんしゅう)

宗祖 親鸞聖人(しんらんしょうにん)

   ご誕生1173年5月21日(承安3年4月1日)

   ご往生1263年1月16日(弘長2年11月28日)

宗派 浄土真宗本願寺派

本山 龍谷山本願寺(西本願寺)

本尊 阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)

聖典

・釈迦如来が説かれた「浄土三部経」

 『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』

・宗祖親鸞聖人が著述された主な聖教

『正信念仏偈』

『教行信証』行巻末の偈文『浄土和讃』『高僧和讃』『正像末和讃』

・中興の祖 蓮如上人のお手紙 『御文章(ごぶんしょう)』

教義

阿弥陀如来の本願力 によって信心をめぐまれ、念仏を申す人生を歩み、この世の縁が尽きるとき浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化する。

生活

親鸞聖人の教えにみちびかれて、阿弥陀如来のみ心を聞き、念仏を称えつつ、つねにわが身をふりかえり、慚愧と歓喜のうちに、現世祈祷などにたよることなく、御恩報謝の生活を送る。

宗門 

この宗門は、親鸞聖人の教えを仰ぎ、念仏を申す人々の集う同朋教団であり、人々に阿弥陀如来の智慧と慈悲を伝える教団である。それによって、自他ともに心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献する。