わしの手じゃない

わしの手じゃない

三次はぬるい風が吹いています。

お盆のお参りも始まりましたが、広島は8月6日の原爆の日に合わせたお参りもこの時期から始まります。

今日、お参りしたお宅。

幾度ともなく一緒にお勤めさせていただいていますが、

今回、おじいちゃんが初めて教えてくれました。

「この手はわしの手じゃない。」

1945年8月6日。

原爆に遭われたその方の手には、痛ましく残虐な跡が残っていらっしゃいます。

暑い時は半袖を着ることなく、人知れずその傷と向かい合われた人生。

私たちが想像できないほどの葛藤や苦しみがおありだったことでしょう。

その当時のお話をしていただくこと。

聞くこちらとしてはとても貴重なことですが、

聴きながらも、「思い出す」ということをさせてしまっているのではないかと一歩下がりつつも、やはり、こちらも「聴く覚悟」を持って臨まなければならないということを改めて考えました。

少しお耳も遠くなり、お体も不自由な中、

その手でお経本を持たれ、その手で合掌し、

「お陰様で」と、感謝のお参りをされました。

間もなく8月6日。

今年は平和の祭典オリンピックが日本で開催中。

少しでも多くの方々が8月6日を大切に過ごす1日になってくれればと。

今でも

今でも

「まだいるような気がするんです。だから納骨はもう少しあとで。」

49日法要が終わった後で、おばあちゃんがふと。

そうですよね、そんな気がしますよね、そうあって欲しいですよね。

寂しいからもう少し一緒にいましょう。

でも、どこかで区切りをつけて、前に歩いていきましょう。

辛さや悲しみ、寂しさはなかなか癒えません。

でも、仏さまはきっと安じて下さっていますよ。

「大丈夫か」「心配ないか」「しっかり生きとるか」

今の気持ちと一緒に、仏さまのお気持ちも一緒に感じて下されば幸いです。

本堂の通路にドライフラワーを設置しました。

お寺っぽくないかもしれません。

生花としてのその命は終えましたが、

ドライフラワーとして新たな命を咲かせてくれています。

大切な方々は私の前からいなくなりますが、

仏さまとして新たな命を恵まれ、

私たちを見守ってくださります。

おばあちゃん、おじいちゃんは仏さまとして、

きっといつも一緒にいてくださっとってですよ。